壊してしまった魂の欠片


思い上がりもはなはだしい。つまりそういうことだったのです。
高い城の窓からも目立つあの紅いコート。
いえ、それは私が見ているからです。アレが彼の所有物だからです。
女王様ご自慢の薔薇の色彩はアレをうまく隠しているというのに私はふと窓を見ただけでアレが彼なのだとわかってしまうのです。
むしろ目立つのは地に立つ空の色。
私のくすんだ、ありふれた茶色とは違うきらめくような髪が揺れ、晴れやかで軽快に流れる風のような彼女。
ほらまた笑いました。われらが宰相様を負かすのはあの笑みだけ。
嫌味ではなく尊敬、敬慕。不思議なことにそれしか浮かばない。
単に私の感情が欠落しているそれだけのことなのかもしれないですけれど。
しかし私は知ってしまったのです。この感情は醜い汚い。
しかしやはり愚者たる私はこの感情につける名を知らない。誰か私を笑えばいいのに。







笑ってくれる者などいないことは私自身が一番知っているのです。いるのは・・・あぁ傲慢な自分が嫌になる。





しかし勘違いさせる彼も同罪なのだ、と思うことさえも驕りなのでしょうか。

「ただいま、

続けたい言葉があることを私は知っています。
この部屋へたどり着く意味を知っています。
ただいまと彼が口にする意味を知っています。
知っているだけの私は役無しのカードにふさわしく何の行動もとらずただ時計にゆられる。

「おかえりなさいませ、エース様」

拒絶もせず受け入れもせず淡々と私は微笑む。
エース様はわざとらしく、分かって欲しいとしか思えないほどわざとらしく、ため息をつかれました。
どうやら今日は警戒すべき日のようです。何か気に入らないことがあったのでしょう。
ただ警戒したところで未来は不変であり逃れることなどできはしないものですが。

「つれないぜー。せっかく君の部屋までたどり着いたのにさ。…ご褒美が欲しいな。いいだろ、

許可を得るどころか「私の名前」を言い終わるより前に…エース様はいつだって唐突で暴力的です。
欲望を満たすというよりは欲望をあふれさせんばかりのそれはエース様が触れる一部だけでなく躯を蝕みいつか私をぼろぼろにしてしまうでしょう。
私はそれを望んでいるのでしょうか。意味のない問いです。
私はただ唯々諾々とエース様にしたがっているのが相応しい。あの日から彼は私の過去ではなくなったのですから。








たった一度だけ快晴の、爽やかな、スカイブルーのもと、均衡を崩し歪んだエース様の顔。




・・・・・・・・・


召使に与えられるのに相応しい、ぎしりときしむ粗末なベット。
「あれ、起きちゃった?」
窓から差し込む冷たい月の光を背にエース様は微笑みました。
お顔は見えませんでしたがそれだけははっきり分かりました。なぜでしょうか。
「寝てていいよ。時間はまだある」
エース様が時間を気にするわけがありません。
しかしまどろみの誘惑に私は勝てず目を瞑ります。
それでいいんだよ、というようにまぶたの上に何かが許しを与えました。…いいえ違います。






「おやすみのキスはね、幸せな夢が見れますようにっていうおまじないなのよ」
無知な幼い私が夢の中で笑い、おでこにキスをしました。
「だからこれで今日は悪夢なんて見ないわ」
私は眠ることを恐れるその手をとってベットに誘いました。
「おやすみ    エース」






「おやすみ・・・ねぇさん」

かすれたエース様の声は優しいとしか言いようが無く・・・





騎士の名ではなく貴方の名を呼べない私を貴方は断罪してはくれないのですね。
貴方の手をとることなど出来ないのに離すことも出来ない私を笑ってもくれないのですね。

ただ貴方は口の端を吊り上げ目を細め、あの日の空の青さと同化する。







「壊してしまった魂の欠片」 黒桐ナガレさん(Esperanca

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