林檎が歌を歌ったら




「………………」

目の前に置かれた林檎をじいと睨みつける。
赤々と熟れた果実は艶やかな赤い輝きを放っていてとても美味しそうだ。
いや美味しそうではあるけれど、どうにも食べる気になれない。
何故ならこの林檎、某腹黒騎士に貰ったからだ。
毒入りかもしれない。もっとヤバいモノ入りかもしれない。
何だこの苦悩。あいつは白雪姫の継母か?いやいや継母よりタチが悪い…。

「って、苦悩の道筋が逸れてるだろ、私」

自分の思考回路に突っ込みを入れて、悩むべき場所を最初へ戻す。
林檎を食おうか食わないか。
何せあいつの事だ、食った後で何を言われるか何をされるか考えただけでも背筋が寒くなる。
たかが林檎。されど林檎。警戒に警戒を重ねてもまだ不十分な位だ、あの腹黒騎士の場合。

「…かと言って捨てるのは勿体無い…林檎に罪は無いし」

だって見れば見るほど美味しそうな林檎なんだもの。
きっと切れば甘い蜜の香りが漂い、果汁が滴る事だろう。
うわあ想像しただけでうまそう。腹減った。
ごくりと唾を飲み込み、そろりそろり、真っ赤な果実へ指先を伸ばす。
危険物を扱うよりも丁寧に、割れ物に触れるよりも静かに、表面を撫でる。
触れても指先が爛れる事は無いし、爆発して城が吹っ飛ぶ事も無い。
と言う事は、…食えるのか?

「食えるんだな?騙してないな?大丈夫だな!?」

林檎に叫べども返事は返ってこない。
返って来たらそれはそれで何したんだエース、と思うけれど。
というか私のエースへの評価、ちょっと酷すぎやしないか。どうでもいいけれど。
…逸れまくる思考とは反対に視線は徐々に林檎に集中し出す。
エースへの恐怖よりも食欲の方が勝ってきた。
元々本能で生きている人間だ、美味しそうな林檎を目の前にして長い間我慢していられるはずもない。
早速腰から小さなナイフを取り出し、舌なめずりしそうな衝動をぐっと堪えて、刃先を林檎にあてて―――!

「 食べてくるの? 」

……あれ?いや、だから食べると決意したじゃないか、私。
エースの土産とは言え、美味しそうな林檎を目前に逃げるなんて出来ない。
ああほら林檎が食べて食べてと呼んでいる…!

「 意外だな。なら食べないと思ってたのに」

…いや食べるって言ってんだろうが、私。
私は私自身を私の名前で呼んだりはしないから、…まさか。
先程冗談半分で考えた、林檎が返事をするという奇天烈な事態が起こっているのか…!?
頭から血の気が引くのを感じつつ、逃げてなるものかと林檎を睨みつける。

「 きっと美味しいよ?早く食べて 」

…なんだ、林檎とはいえ結構いいヤツじゃないか。
爽やかな口調がヤツと似ているのは少々気分を害されるが、自己犠牲的なその愛、しかと受け取った!
喋る林檎を鷲掴み、切る事なくがぶりと齧りつく。
途端に酸味と甘味が絶妙に混ざり合った、爽やかな果実の香りが口いっぱいに広がる。
想像以上に甘い蜜の味にうっとりと目を細めてる、と、すでに食い千切ったはずの林檎が、また囁いた。

「 …で、美味しかったら、勿論お礼が欲しいよなあ 」

―――声は口の中の林檎ではなく、何故か背後から聞こえた気がする。
爽やかだと思っていた口調はやはり爽やかなままだけれど、先程とは違う…妖しい含みが、滲んでる。
気づいた時にはもう遅い。後ろからぬうと伸びた赤い腕が、首と腰を抱いて絡めとる。
食べかけの林檎が、ごん、と鈍い音をたてて床へ転がった。

「…美味しかっただろ?お礼は、もーっと美味しいものがいい、かな」

…拾う余裕は、無いけれど。


( 林檎が歌うのはきっと追悼の歌。私への哀れみの歌 )








「林檎が歌を歌ったら」 雨鳴さん(理不尽

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