「エース、どうかしたの?」
「…どうして?俺、どこか変?」

どこが変かと聞かれるととても迷う。迷うけれど、彼は間違いなく『変』だ。
時計塔から帰ってきてからエースはすこぶる機嫌が悪く、且つそれを隠そうとしているのだろうが余計に目立つ。

「いつもは、ここへ来てもすぐに旅に出るじゃない。」
「いいじゃないか、たまにはゆっくりしても。邪魔してるわけじゃないよな?」

昼から夕方に変わっても、夕方から昼に変わっても。時折夜に変わっても、彼はここを動かなかった。
女王やウサギの宰相にも嫌味を言われてもいつもの調子で返しているが、仕事をする素振りはない。
ただぼんやりと私の部屋に居座るだけだ。

「…居座るだけって言うなら、正直邪魔だわ。」
「うわー…君もアリスも容赦なしだなぁ。君たちの世界の人って皆そう?」
「さぁ。…どうかしらね。」

もう冷めてしまった紅茶のカップの中を見つめながら、ぼんやりと返事をする。
(駄目だわ…これでは帽子屋と同じ属性に入ってしまう。)

「えぇー、行ってみたいな、そんな容赦のない世界。」
「言っとくけど。こっちの世界の方がある意味容赦ないわよ。」
「そうかなぁ。例えばどういう所?」
「…そうね、すぐ発砲事件に発展するところかしら。」
「事件…ね。の世界ではそんな事が事件になっちゃうんだ?」
「その通りよ。…本当に物騒ね、貴方たち。」

大げさに驚くエースを見ているとため息をつきたくなってしまう。
ぬるい紅茶を少し流し込みながら、つきんと胸が痛んだ。泣きそうでさえ、ある。

『…居座るだけって言うなら、正直邪魔だわ。』

そうは言ったものの…本当は、邪魔ではない。そして何も知らないふりをしたが見当はついている。
ユリウスとアリスが恋人同士になって、彼がそれをとても寂しく思っているのを。
寂しいと彼は感じていないのかもしれない。もしかしたらそれは怒りでさえあるのかもしれない。
彼は自分でも気づかない内にアリスを探している。視線も、意識も。会話の内容にも。

彼を想う、私にさえも。

「…エース、貴方いい加減大好きな迷子アウトドアに出かけなさいよ。」
「えぇー迷子じゃない、立派な旅さ。」

もう少し、ここに居たいんだけどなぁ。そう言いながらも彼は重い腰をようやく上げた。
赤い外套のすそが私の目の前で翻り、エースは思い切り伸びをする。

「…。」

…私は彼の唐突なセリフの脈絡のなさと、何か言いたげな彼の背中に自分が言葉を失っているのに気づく事さえ出来ない。
背を向けたまま歩き出す彼が、揺れている。
それが溜まった涙のせいだと気づいたのはエースが剣を持ち上げた時だ。

「俺はが思うほど愁傷でもヤワでも、繊細でもない。」
「…強いて言えば、爽やかでも純粋でもないわね。」
「えぇーショックだなぁ、俺これでも爽やかさで通してるつもりなのに。」
「どの口が言うんだか…。」

返事の代わりに喉で笑うエースを見続けることは出来なかった。
彼は振り向かないだろう。そしてここにも来ることはないだろう。
もう涙の止まらない私を置いて、心にアリスとユリウスの二人を住まわせたまま行くのだろう。

「また来るよ。」

私の予想と反してこちらを振り返って彼は言う。
彼がこちらを見てしまっても涙は止まらずついには溢れ、毛足を立たせた緋色の絨毯に濃い紅のしみを作っていく。

「…は何か一人で誤解してるみたいだけど俺、あの二人がくっついたのは結構ショックだけど、俺が一番好きなのはなんだよな。」
「……は?」
「何かさっきから泣きそうな顔して。このままだとちょっといけない事しちゃいそうだし。したいけど。」
「ちょ、エース…?!」
「今、たくさん我慢するから戻ってきたらもうも準備できるだろ?」

涙がいきなり止まった視界に白く歯が光って見える。
(何、なんて、今…)

「大丈夫。悪いようにはしないから、さ。」

そういって背を向けた彼。
直前に見えたその眩い笑顔とは逆に、彼の背には黒い空気が目に見えるほど立ち込めていた。

(…もしかして、嵌められた?)(嵌められたのかも)
全ては彼の作戦だったのかもしれない。
(…ドS…。)(私の涙と心の傷を返せ…。)
嬉しい、けれど。それを実感できるのはもう少し後になりそうだ。






「大丈夫、そう言って背を向けた君」 氷央 深鈴さん(Dolce Vita

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